カテゴリ
以前の記事
2008年 11月
2008年 10月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 最新のトラックバック
お気に入りブログ
リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1
2006年 12月 29日
2006年ももうすぐ終わりです。
ここで2006年のスポーツシーンと、ワタシが印象に残った出来事を書いておきます。 まずは2月のトリノオリンピック、荒川静香選手の金メダル。すばらしい出来事でした。 早朝から一生懸命テレビを観ていましたが、荒川さんの優雅な演技、そしてライバルを上回る得点には歓喜したものです。 個人的に残念だったのは録画を間違えて「地上アナログ放送」で録ってしまったことでしょうか。再生したら「砂あらし」状態…。あの演技をまた録画で何度も観たいものです。 3月の野球WBC優勝も忘れられません。二度も韓国に敗れ失意のドン底でしたが、奇跡的にトーナメントに復活し、三度目で韓国に勝利、決勝でもキューバを総力戦で振り切りました。栄光の初代王者となり、ワタシも日本人の野球好きとしてこれ以上名誉なことはありません。願わくばWBCがサッカーW杯と肩を並べるような、世界規模の大会に成長することを期待しています。 W杯といえば、サッカー日本代表はまるでダメでしたね…。期待ハズレもいいところでした。結果が問題なのではなく、チームワークがバラバラになり本来の力をまったく発揮できなかったこと、そのことが残念でした。 しかし不甲斐ない日本代表以外では、ドイツのよくオーガナイズされた大会運営と、世界の華麗なサッカーが観られたことで、とても面白い大会でした。最後に「世界最高の頭突き」というオマケもついてきましたが(苦笑)。 ワタシの心の阪神タイガースは、今年も中日との二強対決となりました。去年は交流戦終了時点で首位だった阪神が逃げ切りましたが、今年は奇しくも交流戦終了時点で首位だった中日に逃げ切られました。9月には猛烈な追い上げで9ゲーム差を2ゲーム差まで詰めましたが、やはり痛かったのは直接対決での負け越しでしょう。来年はvs中日の戦いに注目ですし、あとは期待の鳥谷クンがそろそろ開花するのではないか、とも思っています。 阪神の悔しさは「パリーグの阪神」的な日本ハムが敵討ちしてくれました。4月の新庄選手の引退宣言から始まった半年に渡る「引退興行」そのフィナーレが日本一とは、あまりにドラマチックでした。日本ハムが今後常勝球団になるのか、それとも「2006年だけマジカルイヤーだったね」ということになるのか、今後も見守っていきたいと思います。 野球といえば高校野球、今年はワタシの母校・早稲田実業がなんとなんと、夏の甲子園で優勝を果たしました! エース斎藤投手を中心とするこのチームはずっと注目していましたが、昨秋は都大会で優勝するも明治神宮大会では駒大苫小牧に敗退。春のセンバツは関西との引き分け再試合で消耗し、関西には勝ったものの翌日の横浜戦で涙を飲みました(結局、春の大会は横浜が優勝)。 そして迎えた夏の大会も予選の序盤は今ひとつでしたが、徐々に調子をあげて決勝戦では都内最強の日大三に延長戦の末勝利しました。そして夏の甲子園、二回戦ではあの中田君のいる大阪桐蔭に11-2と圧勝。そして三回戦以降も順調に勝ち上がり、決勝戦では夏三連覇を狙う、あの駒大苫小牧との対戦。そしてこれも引き分け再試合になり、再試合で4-3で勝利しました。いやーここまで書くだけで長々となってしまいました。ものすごく濃いゲームを繰り返し、大きく成長したチームでした。ワタシも春1回、夏2回甲子園に行くことができましたが、お金とヒマがあれば本当は全試合追いかけたかったものです。 大会終了後、斎藤君があれほどブームになるのは予想外でしたが、ブーム到来が遅かったのは幸いでした。先日夏の三回戦、福井商戦の録画を観ましたが、朝のゲームなのでスタンドはガラガラ。もしこれがハンカチ騒ぎの最中だったら、朝から大変な人で賑わっていたことでしょう。 最後にディープインパクト。今年最大の目玉だった凱旋門賞挑戦は、レースの結果に加えてその後発覚した薬物問題など、残念な結果に終わりました。しかし天皇賞、宝塚記念、Japan Cup、そして有馬記念と勝利したのはすばらしい戦績です。しかもすべて完勝。いずれはディープの子から凱旋門賞に挑戦し、勝つ馬が出てくることを期待しています。 2006年はスポーツバーとしてはネタに事欠かない、すばらしい出来事がたくさんありました。来年も仕事を忘れて(爆)興奮するような、アスリートたちの活躍を期待しています。 ■
[PR]
▲
by akimitsu-sports
| 2006-12-29 07:50
| その他スポーツ
2006年 12月 24日
今年も有馬記念が行われました。
そして、今年はディープインパクトの引退レースです。デビュー戦以来追いかけてきた馬の最後のレースということで、ワタシも少し感傷的になりました。せっかくのレースも馬券が外れるとすがすがしい思い出にならないので、馬券は一切買いませんでした(正解…)。 レースはもうおなじみの展開。スタートはソロリと出て道中は後方から、そして3角でスパートして大外まくり、4角で先頭に立つとあとは独走でした。直線の短い中山でもまったく関係ない、完勝でした。 勝利ジョッキーインタビューでの武豊騎手、こういっては失礼ですが「老けたなぁ」と思いました。この2年間、ディープインパクトという希代の名馬の主戦騎手としての重圧は、それは大変なものだったろうと想像できます。「老けた」ではなくて、表現を変えると「深い経験、年輪を重ねた」というべきでしょうか。そういうことが彼の表情から感じるようになりました。 武豊騎手だけでなく、池江調教師や調教助手、厩務員、そして馬主や関係者なども、相当なプレッシャーがあったことでしょう。凱旋門賞での失態はいただけませんでしたが、2年間ケガなく競走生活を遂行できたのは奇跡的ともいえるくらい、すばらしいことです。関係者のご尽力に敬意と感謝を申し上げます。 「2年間ケガがなかった」といえば、ディープ自身の脚元の丈夫さも特筆すべきものがあります。走る馬ほど故障が多いといわれる競走馬。G1ホースの多くは故障で引退を余儀なくされます。そんな中、一度も脚元に不安の出なかったディープはすごいです。440kgという軽量もよかったのでしょう。走り方も独特だし、おそらく「新種」なのでしょう。将来は種牡馬としても十分期待できます。 ワタシはディープインパクトのファンとして、今後は彼の産駒を末永く応援してゆきたいと思っています。いつか彼の子で凱旋門賞を勝利できることを願っています。 ■
[PR]
▲
by akimitsu-sports
| 2006-12-24 22:40
| 競馬
1 |
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||